この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ

人生で一番幸せな買い物ってゼクシィじゃない???

現代におけるイケメンの存在意義について

こんにちは、お久しぶりです。もう早いもので5月も後半に差し掛かっておりますが皆様五月病などにかかってはおられませんでしょうか。私は急激な気温の変化に体がついていけず腹を壊し、脂汗をダラダラ垂らしながら行列のトイレに並びました。なんで女子ってこんなにトイレ長いんだ。私を社会的に殺す気か。



さて、本題に移らせてもらう。まあ付き合いの長い皆さんはご存知の通り、私はイケメンが大好きである。三度の飯よりとは言わずとも、三度の飯をイケメンの顔を拝みながら食べたいものだ。イケメンは国の宝であり、財産である。顔がいいというだけで生きている価値がある。顔そのものが存在価値と言ってもいい。イケメンは概して話がつまらないが、そんなことはどうでもいいのだ。存在することに意味があるから、面白い話をして周りに存在価値を認めてもらう必要がなかっただけの話だ。いやー、顔がいいって本当に得だね。わかるよ三葉ちゃん。私も来世は東京のイケメン男子高校生に生まれ変わりたいよ。ただしそういうことは自分の顔を鏡で見てから言ってね!!!現役美少女女子高生がそういうことを言うと今世で残念な顔面をお持ちのお姉さま方に殺されるよ!!!



私の周りの人がたまたまそういう境遇だっただけかもしれないが、イケメンは皆、人生がうまいこと進んでいるように思えてならない。薄幸なイケメンはあまりいないように思われる。そもそも顔がいいということは一生の財産であるから、人生という名のクソゲーにおいて初期設定の難易度が生まれた時から既に違うとも言うことが出来るが、それにしても順風満帆、イージーモードに進んでいくのは何故だ。その幸せ、ほんの少しでいいから生まれた時からハードモード鬼ムズの私たちに分けて欲しい。しかしよく考えてみればイケメンが生まれるような家庭はきっとご両親の顔面偏差値が相当なものである確率が高い。美男美女人生イージーモードの親を持つ子が人生ハードモードなわけないのである。世の中うまく出来てんなぁ。


グダグダとイケメン、一部美女に対する嫉妬を述べてきたが私はイケメンが本当に好きだ。いるだけで周りを幸せにする素晴らしい存在である。ただし私の名誉のために言っておこう。私はイケメンは好きだが恋愛対象として見ているかと言われると答えはNOである。私の感覚は美しい絵画をうっとり眺めているような心持ちであり、決して1人の男性として見ている訳では無いのである。いくら何でもそこまでおこがましくはない。この顔で何年生きていると思ってるんだ。それくらいはわかっていないと世の中生きていけない。


まあシステムバグで綾野剛と結婚できる世界線に飛ばされないかなっていう希望は常に忘れずにいるけどね!!