この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ

人生で一番幸せな買い物ってゼクシィじゃない???

かわいそうなわたし!

かわいそうなわたし!

 

彼氏と別れました。振られた。信じられない。理由や経緯はふたりのパーソナルな部分だけど、今の私の状況や心情は私のものなのでそこはネットの海にぶち込んでやろうと思い筆を執った。

 

彼氏がいたとき、私は何かあっても「まあ私には彼氏がいるし。」と心のよりどころにしている節があった。知らない土地で友達がいなくても周りにおじさんしかいなくてもイケメンがいなくても「私には彼氏がいる」ということに胡坐をかいて「私の本当の居場所はここじゃない」というどこか他人頼みな生き方をしていた。彼氏がいればそのうち結婚するだろしそうすれば子供ができて家を買って子どもを頭のいい学校に入れて老後はゆっくり過ごすという世間一般で言われる幸せな人生を歩めると思っていた。人生の王手に手がかかったも同然だと信じて疑っていなかった。

 

その結果がこれだよ。

 

20代中盤になって彼氏に振られて周りに結婚したいような男もいない。振られた瞬間感じたのはこれからの人生に対する絶望である。ああ、私は一生一人で晩御飯を食べるのか、と。

 

私は一人で生きていける側の人間だと自覚している。でも一人で生きていけるからと言って寂しくないとか周りの人間と比較せずに自己を強く持てるかというとそこまで強くもない。こないだも知り合いの結婚式の招待状を受け取って激しく動揺し、そんな自分に嫌気がさしてピアス穴を増築した。強くなりたかったんだが今考えるとなんか方向性が若干間違ってる気がしなくもない。穴の数だけ強くなれる気がしたんだけど。知り合いからはこのままだともっと仲いい子が結婚したときには舌ピアス開けそうだよねと言われた。

 

彼氏がいた期間は、彼氏がいなかった期間に比べて圧倒的に短い。なのに二度と「彼氏欲しい~」と叫ぶ彼氏できない芸人だった頃の私には戻れないだろう。あたしンちのお母さんが言っていた「高い味噌理論」に似ている。人間、高い味噌を使って作った味噌汁を一度飲んでしまうと、今までの安い味噌の味噌汁には戻れないという理論だ(うろ覚えだけどたしかそんなエピソードがあったはず)。

笑いながら「彼氏欲しい」と言っていたのはそう言っとけば周りも笑ってくれるし自分も楽だったからだ。今はもう無理だ。今私が欲しいのは概念みたいな「彼氏」じゃなくて「別れ話を切り出してくる前のあの人」なのだから。

 

あの幸せだった日々を思い出さない日はない。それと同じくらいこの理不尽に怒りも湧いてくる。怒っているのに楽しかったころの思い出に心を馳せてしまうしスマホの写真も消せないしそんな女々しい自分が世界で一番嫌いだ。一人で生きていけると思ったのに。こんな夢見させてそのあとに粉々にするくらいだったら最初から夢なんて見させないでくれよ。

 

彼が好きだと言ったものは全部嫌いになった。愛の不時着、米津玄師、あいみょんクィア・アイ…。デートした場所は通り過ぎるだけでも心が乱された。東京、品川、お茶の水、立川…。東京の主要駅は大体行ったから本当に大変だ。高輪ゲートウェイまで行っちゃったよ。

 

これから私は自分の意志で人生を生きていかなければいけない。彼氏とかそういう外的因子の影響で人生の方向を決められないから。隣の道を見れば美しい草原がずっと広がっている幸せレールの上を手を取り合って進んでいくカップルがいる。対する私は先の見えない誰もいない荒野だ。別に望んでこうなったわけじゃない。今まで彼氏という外的要因が自分の人生にいいように作用して、その先を示してくれると思っていた。でも突然自分の意志で人生を決めろと言われて、ただ呆然とするしかなかった。でも助けてくれと叫んでも誰も助けてくれない。だからもう一人で進むしかないんだよな、と思いながら、まだ過ぎ去りし思い出を咀嚼しながら膝を抱えて一歩を踏め出せない。本当の居場所はここじゃないとまだ駄々をこねてるみたいだ。

 

私みたいな人間は結婚しないほうが幸せになれるという自覚は持ってる。自分のためだけに働いて自分のためだけにお金を使う。それが最適解だと分かっているのになぜ世間の幸せが気になってしまうんだろう。ほかの人の人生と自分を比べてしまうんだろう。

 

他人と比べない、強い心が欲しい。

 

どこに売ってるかな?ドンキの2階とか?