この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ

人生で一番幸せな買い物ってゼクシィじゃない???

ゴリラとホモサピエンスとイケメン

皆さん。とりあえずゴリラの群れを思い浮かべてほしい。私はゴリラの専門家ではないから多分いろいろ間違ってるかもしれないけれど、次のフェーズに移行するためにはゴリラで例えるのが一番簡単なのでこのようにさせていただく。群れるからにはリーダーが存在している。ネットでパッと見た知識で申し訳ないのだが、ゴリラのリーダーに必要な素質は「愛嬌がある」「運がよさそうに見える」「後ろ姿で語れる」だそうだ。さて、これは人間にも当てはまる。「愛嬌がある」=「優しくチャーミング」、「運がよさそうに見える」=「やることなすことうまくいっているように見える」、「後ろ姿で語れる」=「…」まあそのまんまか…。このような要素を持っているような、優れているホモサピエンスはおのずとリーダーになり、周りの平均的な能力を持つホモサピエンスはそれを直観で分かっていて、優れたホモサピエンスがリーダーになれるように行動するのではないかと思っている。多分本能で。そのほうが社会の発展を望めるから。そしてリーダーに嫌われないように行動し、社会生活を営んでいると考えている。だからもしリーダーに嫌われるようなことをしてしまうと、社会生活における死を感じる。

 

私がこの持論にたどり着いたのはとある一件があったからだ。

 

私には毎日会いに行けるイケメンがいるのだが、そのイケメンの機嫌を損ねてしまうことがあった。このイケメン、顔よし頭よし身長も高くまさにホモサピエンスとして優秀な個体である。ここで注意していただきたいのが「ホモサピエンスとして優秀な個体」ということである。人間として優れているかどうかまでは私が判断できるところではない。なぜなら私はイケメンの外面しか見ていないので中身については何も知らないからだ。

 

ある日、事件は起きた。私がイケメンの地雷を踏みぬいてかなりストレートに嫌味を言われたのだった。このイケメンの機嫌を損ねたとき、私の脳裏に浮かんだのは社会的な「死」であった。確かにイケメンと私が共存しているコミュニティはごく小さなものであり、別にそこで死んだとしてもほかのコミュニティでは生きていけるが、それでも一日の大半を過ごすコミュニティでの死はなるべく避けたい事案であった。それから数日間、私は生きた心地がしなかった。話しかけるときはもちろん敬語、なるべく視界に入らないようにし、これ以上相手を逆なでしないように細心の注意を払った。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったもので、半年もすれば普通に会話することもできるようになったが、今でもふと思い出しては背筋が凍る。

 

ホモサピエンスとして優れている個体から嫌われるということはこんなにも恐ろしいことだとは思わなかった。何人かにこのエピソードを語ったのだが共感してくれる人もいればその考え方は偏っているからやめたほうがいいと聡明な助言をくれる人もいた。

 

イケメンに対して「怖い」という感情を抱くとは思わなかった。イケメンだというだけでちょっと攻撃的な言葉を発すると私みたいな人間に恐怖を抱かれてしまう。イケメンとは孤独な存在なのかもしれない。イケメンは奥が深く、なるべくなら外面だけ永遠に眺めていたいものだと思うのであった。

 

結局あんまりゴリラは関係ないしこんな気持ち悪い持論早くドブに捨ててぇ。