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この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ

人生で一番幸せな買い物ってゼクシィじゃない???

こちらの窓口では惚気話は受け付けておりません。

どうも皆様お久しぶりです。長らく更新が途絶えていましたが私は元気に独身生活を楽しんでおります。彼氏欲しーい☆


今回は惚気話について語ろうと思います。


皆さんは他人の惚気話、ちゃんと聞いてあげられますか?内心何思ってても大丈夫です。どんなに心で罵ってても笑顔でニコニコ聞いてあげられているのならあなたは本当に寛大です。その心は太平洋のように広い。私はダメでした。自分より幸福な人の話を黙ってうんうん聞いているなんて無理でした。あろうことか「黙れ!!!!私の前で二度と惚気けるな!!!!!!」とその惚気話を強制的にシャットダウンさせました。
まあその子も付き合いたてで浮かれてたんだと思います。その後もWindowsのプログラム更新のごとくずーーーーっと惚気てたみたいです。


単刀直入に言うと、私は惚気話が大嫌いです。他人が自分よりも幸福なのが許せないのです。なんと卑屈な人間なのでしょうか。片思いの話、別れた彼氏の愚痴、振った振られたの痴話喧嘩などは全然大丈夫なのに、そこに彼氏への愛情についてのあれこれが加わるともうダメなのです。知り合いなら「早く別れて私と同じ幸福レベルまで降りてきてくれないかな」と思うし、見ず知らずのカップルがイチャついていたらそこそこ不幸な死に方をしないかなって普通に思いますね。どこか私の知らないところでっていう条件付きですけど。


この世に生を受けてはや四半世紀、自我でガチガチに固められた心を今さら広くすることは不可能に近い、となると解決策はただ一つだけ。私が幸せになればいいんです。私にも彼氏ができて惚気話をする子と同じ幸福レベルまで自分が上がれば自ずと惚気話を菩薩の微笑みで聞き流せるはずなのです。



だから!!!早く!!!私に運命の王子様を!!!犯罪に走る前に!!!!

トイレットペーパーの話

私はトイレットペーパーを大量に使う。それは認めよう。以前実家のトイレが詰まったことがあり、なんとなく妹のせいになったのだが、多分あれは私だ。ごめんなさい。合宿中に隣のトイレに入っていた先輩に、あまりにガラガラトイレットペーパーを回し続けるので驚かれたこともある。一人暮らしをするようになってからは特にトイレットペーパーの減り具合を実感するようになり、あまりの買い出し頻度に毎回自分で使っておいて自分でげんなりしている。

 

ところでトイレットペーパーは大抵シールを貼られてレジに通される。つまりは丸見え状態で家に持って帰る。今日ふと思ったのだが、これはかなり恥ずかしいことではないだろうか。自分がトイレで使用するものを道行く人に宣伝して回ってるのと同じことだ。「私はエリエールのシングル派なの」「あら私はダブルよ」「アタクシ香り付きを使ってるザマス」「俺はスコッティかな」…なんなんだこの会話は。でも実際そういうことでしょう?

 

以前トイレットぺーパーをスーパーで買い、家に帰る時、ばったり学科カースト上位の美女と出くわしてしまったことがある。入学してまる三年になるが、ほとんど話したことがなかった。だがばちっと目が合ってしまい、私は猛烈に恥ずかしかった。その時私は自転車のハンドルにボックスティッシュ(6箱)とトイレットペーパー(12ロール)をぶら下げ、かごにはエコバックに入った食品類という完全に頑張るお母さんの格好をしていたからである。はたまた向こうはイケイケラーメン屋(私が勝手にそう呼ばせてもらっている)から友人と一緒に出てきたいかにも大学生らしいシチュエーションであった。ただでさえうわあ嫌なタイミングだと狼狽してしまうのに私は「聞いて―――!!!私はエリエールのシングルを使ってるの――――!!!!」とこれでもかと自己主張をしてしまっていた。ああ神よ、なぜこうも無慈悲なのか。羞恥心にまみれた私は「あっ…ぷhfんg…〇▽☆※~」と訳の分からない言葉をぼそぼそと発して全速力で自転車をこいでその場を後にした。

 

とはいっても私もこれまで特に意識をしてなかったのだが、今日急に店員に「シールにしますか?袋にしますか?」と聞かれてふと、「そう言えば生理用品は絶対に見られたくないけどトイレットペーパーは別に見られてもなんとも思わない…何でだ?」という疑問に取りつかれてしまった。考えれば考えるほど実はとんでもないことなんじゃないかと思えてきた。

 

まあぶっちゃけトイレットペーパーの話はどうでもいいのでトイレットペーパーの補充とトイレ掃除までしてくれる彼氏ください。

しあわせぱんち

みなさんはinstagramをご存知だろうか。twitterfacebookとならぶ三大SNS文明の一つであるが、主に写真を上げることを目的とされ、利用者は大半が若者である。

今やinatagramは女子大学生の必須アイテムであると言っても過言ではない。キラキラしている女子大生はみんなやってるよ(適当)。

 

私は目標である『キラキラ女子大生』になるべく、先日instagramのアカウントを作成した。設定の際、よくわからずfacebookと同期させたら、もうあまりかかわりのない中学の同級生までフォロー申請をしてしまったがまあそこは可愛い誤差とあまり気にしなかった。しかしそこでまさかの『幸せパンチ』第一撃をまともに食らった。その子はすでに結婚していて子供までいたのだった。まじか~。そうだよなぁ。もうそんな年か。

 

『幸せパンチ』。これは私が勝手に考えた言葉だが、我ながら言い得て妙である。twitterが不幸自慢大会だとしたら、instagramは幸福自慢大会なのである。どこそこの高級ホテルのビュッフェに行ってきた、女子力の塊(パンケーキ、パフェ、etc…)を食べた、彼ぴっぴとのツーショット等々、twitterのいかに不幸を面白おかしく伝えるかという価値観に毒されていた私の眼には、instagramのやり取りは幸せでお互いを殴り殺しているようにしか見えなかった。facebook伊勢丹twitterはドンキ、instagram無印良品なのである。

 

instagramには幸せな世界が広がっている、というより幸せしか存在しない世界なのである。多分みんなinstagramに上げるような出来事はあんまりなくて、いつもは仕事や勉強、研究とか大変なんだと思う。それでもたまにあるほんの一握りのキラキラした成分をアップして幸せパンチを打ち込んでいるのだと思うと、その逞しさに涙を禁じ得ない。キラキラ女子大生になるにはこういった強さが必要なのだ。

 

彼氏ができたらさりげなく向かいの席に彼氏がうつり込むような構成の写真をアップして「今日は表参道でディナー♡ #1周年記念日#これからもよろしく#プレゼントは指輪#絶対結婚しようね♡」って書き込もうと固く心に誓いながら私は今日も他人からの幸せパンチを受け続けるのだった。

 

 

 

要約するとnon-noを買ったという話

 寒くて寒くて大学からの行き帰りに誰に向かうでもないが「寒いんだよチクショウ!!!」と叫びながら自転車を爆走させている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は風邪もひかず、元気に「彼氏ほしい!!!」と絶叫しながら過ごしております。

 

 こないだ学科の友達と話していたら、30までに結婚して子供を産むには学生のうちに未来の旦那に出会っておかないといけない事に気づいた。最初は「んな馬鹿な」と思っていたがちゃんと数えてみたら合っていた。私たちに残された時間はそう多くないらしい。

 

 もう大学生活も終わりに差し掛かった3年の冬、望みを託せるのは4月から始まる研究室生活だった。新しい人間関係で私は彼氏いない芸人から足を洗い、おしとやかで守ってあげたくなる女の子へと生まれ変わるのだ。そのチャンスを逃したら多分一生後悔する。私は今まで頑なに拒否していたスカートに足を通したのだった。

 冬は寒いから(と言っても夏も履いていなかったのだが)という理由でスカートを1着も持っていなかった私だったが、それからというものバーゲンの戦場に出かけてはスカートを買い、大学に行くときに履いて行った。

 服装を変えると、友人から「最近可愛い格好するようになったねえ」とほめてもらえた。ここ1ヶ月の間、私は人生で一番外見を褒められた。(顔以外)

 

 私はここで「私だってシンデレラになれるの!」ということを言いたいわけではない。というか私がシンデレラになったら王子さまは裸足で逃げるだろう。かぼちゃの馬車だって乗車拒否である。何が言いたかったかというと、miniのようなラフでゆるい「ストリートファッション」などは最初に可愛い顔を用意する必要があって、私みたいな人間が人並みに女の子らしい見た目にするにはnon-noのような『量産型女子大生』に変装する必要があったのだ。『量産型女子大生』を馬鹿にしてはいけない。『量産型女子大生』にすらなれない可哀想な女の子がどれほどいるのか世の中の人は知らないのである。

 

もう少し早く気づけばもしかしたら今頃彼ぴっぴとラブラブだったかもなあ。まあifの世界線を想像するのはタダだから。腹は膨れないし隣には誰もいないけどな。

 

君に届け被害者の会

この世に君に届け被害者がどれだけいるか考えたくもない。私の周りでは共学出身者でさえ被害を訴えているのに女子高出身の被害の甚大さは想像するのも恐ろしい。かくいう私も中学生の頃からの君に届けのファンのひとりであるが、中学、はたまた小学生の頃から少女漫画の英才教育を受けていたいわゆるオタク予備軍だった私は高校に入学したらきっと風早くんのような爽やかな王子様が迎えに来てくれると信じて疑わず、一時期は学力レベルを下げてまで共学へ進学しようとしていたぐらいだ。(しなくて良かった)

結局私は女子校へ進学したのだが(公立なのでお嬢様といった訳では無い)、もちろん風早くんのような男子、と言うかそもそも男子がいなかったわけだが、はもちろん存在せず、しかし女子校という特殊な環境のせいでほかの高校には絶対に風早くんがいると信じて疑わない節があった。もちろん共学にも風早くんはいないのだが、それを理解するのは3年後、大学に進学してからである。

当時私が中学生だった頃、君に届けの時間軸ではちょうどコミックスでいう12巻とかそのへんの爽子と風早が付き合うか付き合わないかのクライマックスだった。当時の同級生の女子はみんな今月発売の別冊マーガレットを心待ちにしていたし、私が新刊を買ってくるとたちまち貸してコールが鳴り響いた。

なぜこんなにも素晴らしく人気のある作品なのに被害者の会が存在するのかと言うと、前述したとおり風早くんなんてこの世に存在しないからだ。

風早くんはイケメンで運動神経もよく、みんなの人気者であるにも関わらず、人を見た目で判断せず、悪を憎み弱きを助ける完全無欠のスーパー高校生であり、見た目が貞子の爽子に一目惚れし、1年の両片想い期間を経て晴れてゴールインするわけだが読者の女子中高生はもちろん風早くんに恋をする。風早くんは2次元であるから3次元である私たちは風早くんと触れ合うことが出来ないから3次元の男子にそれを求める。というかそういうものだと思ってしまう。馬鹿だよなぁ人は見た目が9割って偉い人が言ってたじゃあないか。幸せの前提は金があることだし美人とブサイクのカップルは存在してもブスとイケメンのカップルは存在しないんだよ(当社調べ)。

さてさて、愚痴とも何ともつかないことを永遠と述べてしまっていたが何が言いたいかと言うと、君に届けは素晴らしい胸きゅん少女漫画であるが、決してそれを現実に当てはめてはいけないということだ。当てはめて永遠と来るはずもない風早くんを待ち続けて気づいたら30なんて笑えないのである。見た目がタイプではない人に人は恋愛対象としての感情を抱かないのである。そりゃあ中身が素晴らしければ後々そういう関係になるこどあるだろうがまず第一関門である見た目の一次審査を合格しないことには何も始まらない。爽子のような自然体でいたら風早くんと両思いになれましたなんて奇跡はまず無いのである。私がそんな簡単なことに気づくまで、何年もかかってしまったので皆さんもどうか漫画と現実を混同なさらぬよう…現実は想像以上にブスに厳しい。